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「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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大辻隆弘ブログ

田中槐「草食獣的、肉食獣的」についての疑問 09・2・23
text 大辻隆弘

荻原裕幸さんのブログの2月19日付けの記事で、田中槐さんが「未来」2月号に書いた時評「草食獣的、肉食獣的」について触れてくださっている(http://ogihara.cocolog-nifty.com/)。

正確には「未来」を読んでもらうしかないが、荻原さんの言うとおり、田中槐さんのこの時評は、私の『時の基底』に対するかなり厳しい批判だと思った。

私なりに要約すると、田中さんの主な批判の論旨は次の3点である。

1、
この書に収録した私の時評の論点は「揺れ過ぎてい」る。
それは「目の前に現れた『獲物』に飛びかかり、とりあえず肉も血も骨も噛み砕いて栄養にしてしまおうとする肉食獣的な手法によって書かれている」せいである。

2、
このような「肉食獣的」文章は、情報の氾濫する現代において残ってはいかない。

3、
感情を剥きだしにした文章が頻出している。怒りを露わにし拳を振り上げている文章は、インパクトはあるが空しい。

私は、基本的には、自分の著作を出した時点で、それは、読者の「読み」にまかされてしまうものである、と思っている。したがって、自分の著作の弁護は、基本的にしたくはない。

ただ、やはり、疑問は残るのだ。

田中さんの主張する「1」については、私の主張のどこがどのように「ブレ」ているのか、具体例をあげていないので、何ともいいようがない。

私の『時の基底』に対するいろいろな意見を見ると、私の主張は、ほぼ一貫していると読んでくださっている人が多いようだ。その中で、黒瀬珂瀾さん(現代詩手帖・時評)だけは、私の、たとえば穂村弘批判が、しだいしだいにスタンスを変えていった様子を、逐次的に追跡してくださって、私の論旨のなかにゆるやかな転換があることを指摘してくださっていた。

田中さんが「ブレ」を指摘するのなら、たとえば、黒瀬さんのように、『時の基底』から、具体的根拠をあげて「ブレ」を示していただかないと、私は狐につままれたような思いになる。

田中さんの主張する「2」「3」については、そのとおりで、「時評」というものは、そのままほおっておけば「うたかた」として消えてゆくものなのだ。その空しさは『時の基底』の「あとがき」で、私が吐露しているとおりだ。

が、私はその「うたたか」「空しさ」という「時評」ジャンルの特質を充分意識しながら、みずからの魂を鼓舞し、勇気を振り絞って、そのつどそのつど「今いわなければならない」と思ったことを書いたつもりだ。もとより「残る」ことは、書いた時点では、期待していなかったのだ。

が、結果として、10年の年月を振り返ったとき、その瞬間、瞬間の蓄積が、振り返ってみてみると、なんらかの短歌の記録となりえており、私の短歌観を披瀝しているものになりえている、と判断したから一冊にまとめたのみだ。

その意味で、私は、それこそ「肉食獣的」な時評を書いたのであって、「草食獣的」な作歌論や、短歌原論を書こうとした訳ではない(そういう「草食獣的」な文章は、一昨年に刊行した『岡井隆と初期未来』や、今回出した『アララギの脊梁』に纏めた)。

以上、反論という訳ではないけれど、私が疑問に感じたことを、一応、表明しておきます。

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